我考察著作権放棄済設定群
故あって般若心経を読んでるときに思いついて、そのまま考えてたら、なんか世界観設定に使えそうな感じのを思いついたのでメモ。
折角なので、
「書きたいテーマは思い浮かんだんだけど、世界観の設定が浮かばないよー」とか
「あんまり凝った作品じゃないし、どこかから世界観パクりたいけど著作権とか気になるし・・・」
なんて人向けに、著作権放棄済み設定群と称して公開しちゃおうかな、なんて思いつき。
まあ、作品づくりは世界観から考えるのが楽しいので、参考程度にでもしてもらえれば。
と言うわけで世界観。ホントに世界の設定だけ。
- 魔法とか、特殊能力の有無問わず。
- 時代背景、場所とか平行世界とか、そういうのも問わず。
- 神様とかそう言う物は居ないと思います。居ても良いけど。
- 世界の根元は「有と無の中間」(命名例:『空(くう)』)
- 万物は何かのきっかけで、「有」と「無」の極端な状態に偏る。同時に時間も「有」と「無」に分かれて行く。その過程が「時間の流れ」
- 「有」と「無」を、「物質」と「エネルギー」と捉え直せば量子力学的な考えに、「正義」と「悪」と考えれば「光在るところに影がある」の説明になる。
- 従って、そこにものが有る、という事象は、それ以外のところにものが無い、という事象によって裏付けられている(支えられている)。
- 人間からしてみれば、『空』も認識できないので無と同じ。しかし、きちんと『空』はある(ある、という言い方をすると少々語弊があるがそれ以外に良い感じの表現が浮かばなかったので、ある、と表現します)。
- 新しい物を作ると言うのも、材料の「有」を、今まで『空』だったところに補填することで、新しい物を「有」にするということ。
- 同じく魔法も、魔法によって呼び起こされる事象の『空』に、魔力や何かの「有」を補填することで「有」にするというプロセスが必要。等価交換の原則。
- 「有」が何らかの形で、「無」と接触すると、平均化して『空』に還る。ドッペルゲンガー。
- 『空』を「有」と「無」にかたよらせるのは人の祈りなど、些細なもの。ただ、偏らせる為の力が弱いとすぐに平均化してしまうため、大きな力(強い意志や、大勢による祈り)が必要になってくる。激情による魔法の強化、人類の意志(『抑止力』)や、大がかりな儀式の必要性。
- 人が生まれる前や、死んだ後も『空』には還らない。望みや祈りによって、人として生まれなおしたり、残留思念だけがその場に留まり続ける。前世・後世の存在、幽霊や亡霊の存在。
- 人が完全に『空』に還ったとき、世界からその人の存在そのものが元から無かったことになる。よって、誰の記憶にも、いかなる記録からも消失する。
- 時間というものにも「有」と「無」がある。ただ、人間は「有」しか認識できないので、「無」の側に広がっていく時間を知覚できないだけ。パラレルワールド。
- だから、あらゆるものは「有」でもあり「無」でもある。色即是空、空即是色。
いかがでしょうか。
どちらかというと、新しいものを思いついたというより、あらゆることを説明できる世界を、実際の世界や作品の世界に即して後付けした、という感じですが。
あながち間違いでも無いような気がするんですよね。意外と、世界ってこんなものなのかもしれません。想像の域を出ませんが。